前田日明に続き

2019年12月に前田日明チャンネルが開設されていましたが、
なんとアントニオ猪木が2020年2月…コロナ禍最高潮ちょい前にYouTubeを開設していました。

元気ややなくなりぎみ

IGFでリングで挨拶してたときや、
2013年維新の会として参議院議員になり
「元気ですか!」を怒られていたところまでは見ていたのですが、
最近見てなかったです。

久しぶりに見たら、さすがにやや元気なくなりぎみになっていました。

燃える闘魂アントニオ猪木

アントニオ猪木。
1943年2月20日生まれ77歳。
神奈川県横浜市出身。
13歳のときに生活の苦しさからブラジルに移住。
コーヒー豆の収穫などをしていました。

1960年、力道山にスカウトされ日本プロレス入団。
大木金太郎を相手にデビュー戦を行います。

1966年、豊登と共に日本プロレスから独立し東京プロレスを設立。
しかし三ヶ月で破産し日本プロレスに戻ります。

そこでジャイアント馬場と「BI砲」を結成。
しかし馬場との対戦は受け入れられず、日本プロレス退団。

1972年1月26日に新日本プロレスを旗揚げします。

「ストロングスタイル」を標榜し、
アクラム・ペールワン、ウイリー・ウイリアムズなどと異種格闘技戦を展開。
1976年6月26日のモハメド・アリ戦は世界中から注目を集めました。

1983年今にも続くIWGPを立ち上げ。
初代を決めるホーガン戦で、失神KOされます。

1986年にはマサ斉藤と巌流島無観客試合。

1994年から猪木ファイナルカウントダウン開始。

1998年ドン・フライ戦で引退します。

PRIDE10からPRIDEのエグゼクティブ・プロデューサーに就任します。

2002年8月の「Dynamyte!」では上空4000メートルから
スカイダイビングで国立競技場に着地しました。

2003年イノキボンバイエを開催。
格闘技ブームの伝説になります。

2005年新日本プロレスの株をユークスに売却。

2007年、IGFを旗揚げしました。

そして2013年、参議院議員になり、「元気ですか!」で
怒られていました。

YouTube参戦

そんな猪木が2020年2月、YouTuberになっていました。

3バカトリオ(闘魂三銃士)
日本プロレス殿堂会(長州にビンタ)
アントニオ猪木×天龍源一郎 トークバトル
プロレスに悔いはない
武藤敬司、蝶野正洋、前田日明、長州力に闘魂注入ビンタ
猪木が語る!「お客様を惹き付ける方法&延髄斬り」

などを投稿しています。

最初は元気ない感じで心配だったのですが、
ちょいちょい元気ある動画も出てきました。

いつまでも元気で長生きしてほしいものです。

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元孤高のコーイチロー。元斉藤ギガバイト。元東京NSC7期生の売れない芸人。R-1GP2011一回戦突破。フライデーナイトライブ二位。『格闘技LOVE』『元売れない芸人の独り言』管理人。ストリートシュガーリンダ『お笑い芸人たちのあんなことこんなこと』執筆。